出典:言語復原史学会
言語復原史学会
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「広田装身具のギリシャ文字」
「悲劇『さほのはやさめ』」
「『八幡教』が生まれた世界宗教史」
「シュメル原産のスサノオと、山字貝製遺物」
「種子島「山」字遺物と壹與たちの関係は?」
「種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ」
「広田装身具のギリシャ文字」
種子ガ島の南種子町広田遺跡出土の夜光貝製装身具には、
「山の漢字」が彫られていることで有名だが、
私が検討した結果、下の二つのように他にもギリシャ文字が彫られていたことを確認した。
左のものは「aY」、右のものは「XM」を文様化して彫ったもので、
「アイ=愛」と「クマ=熊」と読むと、信条と部族名に一致する。
この地域の名の熊毛とは、「クマのギリシャ」という意味があり、熊襲=日本と呼ばれたこと、
「広=ヒロ=日の国」
「広=コウ=高=高・武・什・タカラ」で、
卑弥呼の原名=ヒーミャグァ=日の宮子やヒルメ=日留女、高志の八俣大蛇、高千穂、武内宿弥、斉明天皇、竹取りの翁にまで直接関係していることなどからみて、現在ではこれが「日本誕生」の最古の遺物である。
(加治木義博著『ヒミコ』『ジンム』参照)。
この貝彫刻の発想と技術は、地中海名物の「カメオ」と同じもので、ギリシャ文字がなぜ種子ガ島に?という疑問を吹き飛ばしてしまう。(弥生時代中~後期)
※出典:YAMATO 179頁
「悲劇『さほのはやさめ』」
『日本書紀』「神武天皇三十一年」に昔、イサナキノミコトが、日本の国を呼んだ名の一つとして「秀真国(ホツマクニ」という名を挙げています。
これはそのまま「豊都国(ホツマ・ホタマ)=豊玉」と一致します。
また山幸彦と神武天皇は、どちらも「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)」という名をもっています。
これは祖父と孫だから名前の相続だといわれてきましたが、『記・紀』は混乱していて、時代の異なる記事を一緒に混ぜたり、同一人を別人として、あちらこちらにはめこんでいたりしています。
「写真」広田遺跡のギリシャ文字カメオ
種子島の南岸、広田遺跡から出土した貝殻製装飾品。
そこに影られた文字はギリシャ文字で、
(左上から)Yα=ヤ、
XMO=クモ、
ΦαTso=タツオー、
(右上から)Yox=ヨク・ユク・ヤク、
∑PΦα=スルタ・シロタ・サルタ、
soΦ=ソト
と読める。
位宮はスサノオで、「八雲立つ…」の歌は彼がよんだ歌とされるが、それとも「竜王」ともよく一致しているし、<シロタ>は広田で、<スルタン>、<サルタ>は猿田彦とつながり、<ソト>は<ソ>=襲や<ソトモ>という<サツマ>の別名に一致しているなど『記・紀』の記事と一致点が多い。
「図」さほのはやさめ=狭穂の疾雨」:
深沢省三画(菊池寛「日本建国童話集』文芸春秋社刊の挿絵)
そして忘れてならないのは、日本最古の悲劇ロマンとして知られる『日本書紀』[垂仁天皇紀]にある「狭穂(さほ)姫皇后の悲劇」です。
そのあらすじを見てみましょう。
秋のある日、天皇は皇后狭穂姫のひざを枕に、うたた寝をしていて夢をみて眼を覚ました。
「錦の色をした小蛇が首に巻きつき、狭穂(さほ)のほうから真っ黒な黒雲がやってきて、急に雨が顔に降りかかった夢をみた。
これは何の知らせだと思う?……」
みると皇后は涙を流していて、そこへ両手をついて詫びた。
「実は兄が陛下を殺せとこの小さな刀を渡しました。
だが何も知らずに安心して私のひざでおやすみの顔をみていると、
陛下と兄の板挟みになった自分の宿命の悲しさに
つい涙が散って陛下のお顔にかかってしまいました。
蛇は小刀、雨は涙、黒雲は兄の狭穂彦でごぎいましょう。
どうか私をお罰しくださいませ……」
「そうか……しかし、そなたの罪ではない。悲しむな」
垂仁天皇は部下に命じて狭穂彦を捕えにやった。
ると予期していた狭穂彦は大急ぎで稲わらを積み上げて防戦の準備をしていた。。
月を越えても決着がつかない間に、皇后は生まれたばかりの皇子・誉津別命(ホムツワケノミコト)を抱いて兄のところへ帰ってしまった。
天皇は驚いて将軍をやって皇后と皇子を返せと交渉させたが狭穂彦はきかない。
将軍は威嚇のためにその稲わらに火をつけさせた。
すると皇后が現われて、駆けつけた天皇に「私と皇子に免じて兄の罪を許していただけたらとここへ釆ましたが、焼かれるのをみると許していただけないとわかりました。
私は捕えられて生きようとは思いません。私が死にました後の皇后には丹波の道主(みちぬし)の王の娘をお選びください」という。
火勢が強くなって稲わらの防壁が崩れおちるのをみた天皇は、皇后を助け出させようとしたが皇后は、皇子だけを兵士に渡して自分は火の中へ飛びこんでしまった。
もちろん狭穂彦も妹とともに焼け死んだ。
垂仁天皇の「竜宮城」での楽しい日々は終わった。
これが神話の「豊玉姫のお産と離婚の悲劇」の真相なのです。
悲劇の原因は姫の正体が竜だったからだというたとえ話は、宗教の違いと、こうした醜い肉親間の争いを不思議な話にすりかえて穏すための方便だったのです。
またこれと『魏書倭人章』とのつながりをみますと、狭穂姫皇后が推薦した後任の皇后・日葉酢(ビバス)姫皇后は、その系譜を整理すると豊玉姫の妹の玉依(たまより)姫であり、『魏書倭人章』の「壹與(イチヨ)」その人なのです。
だから玉手箱の「玉」は豊玉・玉依姉妹の象徴。楽しい日々の裏に潜む醜い権力争奪を戒めるのがこのお話の本当の目的です。
だが位宮は悲劇を見てしまいました。
「竜宮城」の楽しい夢は「玉手箱の煙」のように一瞬に消えて、後には急に老けこんだ「浦島太郎=位宮」しか残りませんでした。
その枯れ果てた心はまさに何百歳の老人のようだったのです。
※出典:日本国誕生の秘密 226~230頁
「『八幡教』が生まれた世界宗教史」
言葉を換えると、ヤマト朝廷の権威の源が『八幡信仰』だったのである。
だから全国に3万を超える八幡社があり、それが会社のような働きをもつ「社」の全国組織を形成し、朝廷の名が「八幡徒=ヤマト」と呼ばれてきたのだということが、はっきりわかる。
では八幡とはなにか?…。
それは「八幡大菩薩」の名が示すように実体は仏教、概観は神道の日本独特の宗教だが、その実体は次のような歴史が産み落した混血児である。
① シュメルでは「山」を崇拝する伝統からジグラット=巨塔を神体とした。
この宗教をバビロンの滅亡後、日本列島へもちこんだのが「カリエン」人たちで、
彼等が神と、その継承者を「シュメル=スメラ」「王=キ」=「スメラギ」と呼び、
バビロンのアキツゥの祭り(正月)が「秋津島」の語源になって、
神話の古代国名を生んだのである。
② シュメルがスメラになったのは、それが日本へくる前にインドに入って「ヒマラヤ」を
「スメラ山」と呼んだからであるが、そこでスメラはさらに多くの方言によって、
「スベラ」から「スバラ=素晴らしいの語源」「スバ・スワ・シバ・ジマ・ジャマ・ヤマ」
などと訛り、その主神を「シバ・ヤマ」神とするシンドゥ教の一派「シバ派」になった。
③ それより前、バビロンに倒されたシュメール人たちは、中国に入って「周」と呼ばれ、
殷人の帝国・商を倒して天下を取ったが、以後、「山」を崇拝する伝統が中国各地の
名山崇拝となり、それを台湾を「ホーライ=ギリシャ神話の季節の女神」と呼ぶ
ギリシャ系中国人・徐福らの「方士」が受け継いで「道教」の体系をととのえた。
④ これが秦の始皇帝のとき、徐福が日本に「ヤマ教」としてもちこんだもので、
それは本来「オリンパス山」を神の住いとするギリシャ宗教につながる山岳宗教だから
「ヤマ」で、種子ガ島・南種子町の「広田海岸遺跡」から発見された「貝製装身具」に
漢字の「山」と、ギリシャ文字の「アイ・クマ」とが書かれているのは、
このためなのである。
⑤ この地域には、さらに古くからインド語や、マレー語を話す人々が定住していたし、
往来していた。
それは土器などの共通性と貝製腕輪などの出土品、それに今も大量に日本語の中に
残っているマレー語やパーリ語やヒンドスタニーの単語が証拠であるし、
『記・紀』の神名や人名もまた動かない証拠群をかたちづくっている。
⑥ こうしたものが相互に影響し合って次第に融合したものに、卑弥呼当時に最大勢力に
発展し君臨したのがアショカ仏教で、その後をこの「八幡教」が継いだことが、
『魏書倭人章』の卑弥呼・壹與と、『記・紀』の[神功皇后紀]から複元できる。
⑦ だから「ヤマン」に対する当て字が「八幡」で、これを「ヤバーナ」と発音したものが、
中国から西の広いアジア全域で「ギリシャ人」を指す固有名詞として使われてきたのである。
⑧ しかし「八幡」は『大隈正八幡の縁起』に登場する八幡=応神天皇と、
天皇に位を譲った先代の八幡がいて、それが二つの「倭」を生んで、
日本の建国史を非常に複雑にしているから、
この『倭』を主役にした講義は、その締括りとして、
この問題を解明せずに通過することはできない。
なぜなら『古事記』の[神功皇后記]に応神天皇が「イザサ=伊奢狭・和気大神」と
名前を取り替えたという話しが載っているからである。
※出典:大学講義録05 24~26頁
「シュメル原産のスサノオと、山字貝製遺物」
『後漢書』が記録した107年に後漢を訪れた倭国王・帥升は、
漢魏音でスイサヌウ、すなわちスサノオという名乗りで、
これはシュメルの古都スサ(現在のイラクのスーサ)の王を意味し、
出雲神話のスサノオの尊の八俣の大虵退治も、
何代目かのスサノオ=位宮が卑弥呼政権を倒した史実を、
英雄ギルガメシュの大蛇退治神話を模して説話化したものである。
八俣とは、八幡をヤバタ→ヤマタと訛った当て字、
大虵(ウチ)は鹿児島神宮所在地の名の「ウチ=内=宇治」への当て字である。
ヤマタは邪馬臺に似ているが、
邪馬(ジャマ)がヤマと発音されるようになったのは8世紀以後のことで、
この神話とは全く関係なく、
邪馬臺(ジャマダイ)がヤマトだというコジツケと全く同じで無知の産物にすぎない。
さらに邪馬臺という名詞自体、後世の人間の錯覚が産み出した幻覚で、
現実にはこの地球上に存在したことのない幻なのだ。
「中国の山岳崇拝→種子島」
バビロンに敗北したシュメル人は中国に移動して「周」をたて、殷帝国を倒した。
またアレクサンドロス東征の落とし子・ギリシャ人も中国に住み、
オリンパス山などを神山とするギリシャ宗教の「山」信仰で、
台湾を女神ホーライの名で蓬莱山(ホーライ)と呼ぶ
秦(シン)の徐福らの「方士」が秦代に
琉球の与那原(よなばる)=徐那伐(ヨナバル)=徐福の都(ジョナハラ)へ伝え、
それが種子島南部の「広田」弥生遺跡に、
「山」字とギリシャ文字を彫った貝製装身具を残したのである。
※出典:大学講義録32 30頁
「種子島「山」字遺物と壹與たちの関係は?」
大学講義録32の30頁で触れた南種子・広田海岸に
「山」字とギリシャ文字を彫った遺物を残した人々は、
一体どんな人たちだったのであろう?。
また卑弥呼や壹與との関係は……?。
私たちは垂仁天皇と狭穂姫の悲劇が、種子島で起こった事件だったことをよく知っている。
その理由は沢山あるが、
「狭い」はアイヌ語の「タンネ」で、
細長い島の形と島名によく一致していて、
語源になっていることを繰り返し確認してきたから、疑いの余地はない。
この「狭」の字を名乗りにもつ重要な女神がもう一人いる。
それは天照大神と素戔鳴の尊の「誓約(うけひ)」で生まれた
3人の女神の一人、狭依(サヨリ)昆売の命である。
この名乗りの、もう一つの文字「依」も、
豊玉姫が山幸の子を生んだとき、
捨てた子供・ウカヤフキアエズの尊を育てて、
後に結婚した豊玉姫の妹・玉依(ヨリ)姫がもっている。
私たちは名乗りの文字が、領土や地位、
職掌を表現している重要な史料であることを、
これまでイヤというほど実例で知っているから、
同じ種子島の女神が同じ「依」のつく名をもっていれば、
それは近縁か、あるいは同一人であるとすぐわかる。
狭=タンネ、
玉=タマ。
この二つの字はどちらも
「タン=種子・丹後・淡(タン)路のタン」という発音を
写した当て字だとみると同一人の可能性が高い。
※出典:大学講義録33 3頁
「種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ」
『古事記』は開巻第一に皇祖を「天の御中主神」と書いた。
これが<美智能宇斯>=道の大人(うし)=『神武天皇紀』の道の臣の命、
語源=美紐縫・<ビシェヌウ>神で、
神武天皇=垂仁天皇(高句麗の山上王・位宮)を高句麗で救け、
琉球へ連れ戻した種子島×高句麗海軍の総帥だった人物である。
その別名は豊玉彦。
豊玉姫の父で、垂仁天皇は彦日日出見の尊、
娘婿だから「入彦=入り婿」を名乗るのである。
しかし『記・紀』はそれを男王制に書替え、
彼の五人の娘・<日葉酢姫>=<壹與>らを後妻扱いしているが、
本来の「倭=ウワイ」の<優婆畏>=女王制は<卑弥呼>以前から実在していたことがわかる。
南種子町・広田遺跡出土のギリシャ文字を装飾化した貝製のカメオ細工は、
ギリシャの女神アテナ像や、インドの仏像類にみるものと共通のもので、
女性祭祀王の身体装飾品とみるしかない。
男王制は後のもの名のである。
貝細工カメオは地中海で発展したもので、
道の大人が率いていたのはギリシャ海軍の流れを受け継いだもの、
海神<ポセイドン>が<百済出水>(後に出雲)という国名を生んだのも、
道の大人がビシュヌウ神を名乗り、
卑弥呼がペマカ「愛」、それがマレー語で<カシー>と呼ばれて、
香椎・観世音(カシイ)と当て字されたのも、
すべてギリシャ・インド文明が沖縄から種子島を経て、
南九州に上陸した史実を、
疑いようもなく立証している証拠群なのである。
※出典:大学院講義録29 21頁
種子島の弥生時代遺物
種子島の弥生時代遺物
種子島広田遺跡
種子島広田遺跡
山字貝製遺物
山字貝製遺物
夜光貝製装身具
夜光貝製装身具
カメオ
カメオ
広田遺跡のギリシャ文字カメオ
広田遺跡のギリシャ文字カメオ
広田装身具のギリシャ文字
広田装身具のギリシャ文字
シュメル原産のスサノオ
シュメル原産のスサノオ
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