私たち倭人(ウワイト)の子孫としては、ウバイドという祖国の発生年代は、是非知っておきたい大問題である。 発生時期はマルドゥク信仰などでバベル族が分化した頃であるということになるが、今後、若い人たちの研究課題である。 また、オリエント史(ウバイド・アッカド・シュメル等)・ギリシャ史・インダス文明史・中国史・朝鮮史等の理解を深めることにより、 今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化の源流、日本語の語源・成立、日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できれば幸いです。
2012年3月24日土曜日
フェニキヤ(船来国)人と屋久島の縄文杉とポセイドンの聖木=松(1)
言語復原史学会
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《フェニキヤ(船来国)人と屋久島の縄文杉とポセイドンの聖木=松》
「新年に飾る[門松]の意義とルーツは?」
出典:言語復原史学会「大学院講義録16:3頁」
正月を迎えると我が国では門松を立てる。
最近は少なくなったが、戦前は長屋住まいの人でも、
根のついた松苗にノシを掛けたものを、
玄関の左右に打ちつけて、松の内を祝った。
ところが戦争が長引いて、
航空燃料に松根油を供出するという断未魔状態になると、
政府が
「松は重要資源だから門松は国策に反する、絵で代用するように」
と命令したので、
以後は門松の絵を印刷したものを貼るようになった。
敗戦後
「そんな縁起でもないことをしたから敗けたんだ」
といった人がいたが、
戦後はデパートなどが賑々しく大きな松竹梅を飾るくらいで、
全国的に廃れて、
クリスマス・ツリーのほうが目立つようになった。
しかしなぜ門松を立てるのか?。
在来の手法なら何でもかでも「中国から来た文化だ」で済まされてきたが、
中国には松を特別視する宗教や習慣はない。
それがあるのは只1カ所、ギリシャだけである。
古代ギリシャでは船を造るのに松が欠かせない適材だったから、
今も「ポセイドンの聖木」として神聖祝されている。
この門松(カドマツ)という姓が鹿児島にある。
私の古い友人にも門松君がいたが、背のスラリとした欧米型の美男子だった。
すると初めて松の木が、なぜ「マツ」という発音をもっているのか?が、わかる。
「ポセイドンだけが完全証明できる「馬の国」名詞群」
出典:言語復原史学会「大学院講義録16:4頁」
ポセイドンは豊穣の女神・デメテルに一目惚れして、
彼女を喜ばせようと河馬やキリンやロバなど様々な動物を造ったが皆、
女神の気にいらなかった。
しかし諦めずに試作品を造り続けた結果、ついにデメテルが、
うっとりする美の極致の動物が出来上がった。
馬である。
古代日本人はこの話をよく知っていたのである。
なぜなら百済はポセイドンへの当て字である。
それがクダラという発音ももっている。
クダはマレー語の「馬」だから、クダラとは「馬の国」だ。
これは古文では「馬津国」と書き、マツラと読む。
これは『魏書倭人章』に末廬国と書かれた国と発音が一致し、
今の佐賀県と長崎県にまたがる松浦地方であることも、
帯方郡使がやってきたコースの記録で、
完全に証明されていて疑う余地がない。
そのコースを北へ逆行すると朝鮮半島南西部に着くが、そこは当時、
馬韓国だったことが『魏書・東夷・韓章』に記録されている。
馬韓国は「マガラ」と日本語読みすると、初めて正確な意味がわかる。
「馬ガ国」すなわち馬の国で、
後世、植民地百済になったことも疑問の余地はない。
百済も末廬国も松浦も馬韓も、全て同じ馬の国だったのである。
百済がなぜ?馬の国だったか、それはこの、
ポセイドンと馬との切っても切れない関係を教えたギリシャ神話が、
当時の我が国で周知のものだったからに、ほかならず、
そうでなければ絶対に生まれるはずのない複数の地名・国名群と、
その相互関係だったのである。
「『魏書倭人章』解続と国史解明への新しい手掛かり」
出典:言語復原史学会「大学院講義録16:5頁」
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