私たち倭人(ウワイト)の子孫としては、ウバイドという祖国の発生年代は、是非知っておきたい大問題である。 発生時期はマルドゥク信仰などでバベル族が分化した頃であるということになるが、今後、若い人たちの研究課題である。 また、オリエント史(ウバイド・アッカド・シュメル等)・ギリシャ史・インダス文明史・中国史・朝鮮史等の理解を深めることにより、 今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化の源流、日本語の語源・成立、日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できれば幸いです。
2012年3月31日土曜日
日本からエーゲ海へ戻った人々がトルコ人
《日本からエーゲ海へ戻った人々がトルコ人》
「日本からエーゲ海へ戻った人々がトルコ人」
《記録の真実性を証明した神武紀元と建国記録の真相》
「記録の真実性を証明した神武紀元と建国記録の真相」
このほかにも考えられることは、竜は辰韓に合い、
ポセイドン系の百済につながる馬韓と並んで実在していた。
また以上の考証が名詞ばかりだという反論も考えられるが、
この伝承に出てきた『鉄の鎖』も、
我が国の古墳時代の遺跡からはギリシャ式の鉄の鎧が出土する。
カドモスをめぐる話は、
このように総て我が国の古代異物に結びついている。
だとすれば、さらに、も少し詳しくみてみる必要がある。
するとまた重要な発見がある。
それは神武天皇と無関係ではなく、
神武紀元がこの説話に由来しているという、
決定的証拠になるのである。
それは彼が造った国・テーベの起源が
ミケーネ時代にあるという点だ。
神武天皇の幼名は三毛野(ミケヌ)尊。
これはミケネ
の沖縄発音である
それが紀元前6世紀に栄えたアイオロス人の国テーベの建国期なのである。
アイ=藍=青。
これも重要な五彩圏の要素だった。
その紀元がB.C.E660年で、
その起源がミケーネ時代。
神武紀元と三毛野の名乗りに合う。
それはさらにもう1つの要素をもっている。
それはこのミケーネ時代はアカイヤ人が作ったという事実である。
アカイヤもまた五彩圏を構成する赤の語源である。
神武は南国・日向から出発した。
南は赤、国は「ヤ」、南国は、そのままアカイヤと読める。
こうみてくると神武東征に結びつく要素が完全に揃っている。
神武記事はこの史実を、しっかりと記録していたのである。
《『記・紀』は「人類の宝」、しかし亡国に使った奴ら》
「『記・紀』は「人類の宝」、しかし亡国に使った奴ら」
私たちは『記・紀』を批判しているが、
それは全部がデタラメだといっているのではない。
その編集や編集者の編集態度に問題があるといっているのである。
今、こうして神武伝承を精密に分析し、
その記録の真相を探りだしてみると、それらの記録が、
こんなにも細部まで真相を物語っている。
『記・紀』は「人類の宝」だといっても、誰も反対はできない。
それを間違った解釈や、いい加減な解説でゴマかして、
『神典』だといったり、
その神典の意味を取り違えて「絶対不可侵だ」といったりして
汚(けが)してきた連中がいるから、
日本人は世界の嫌われ者にされ、
非戦闘員を原爆で大量虐殺されるという悲惨な目に遭わされた上に、
その損害賠償を取るどころか、犯人を処罰することもできずにいる。
そればかりではない。
今なお世界の人々から白い目で見られ、
嫌悪され続ける日々が続いているのである。
しかしようやく、私たちの先祖の史実が眼に見るように展開される日がきた。
私たちはギリシャ人やシュメル人を先祖にもつ、
西欧人と同じ血の流れる普通の人間だった。
世界の東の孤島だけに育った野蛮人でも、
宇宙から侵入した怪物・エーリアンでもなかったのである。
これで私たちにとって
何が正しく、
何が悪か、
なにが神で、
なにが悪魔か明瞭になった。
私たちの前途が、ようやく輝き始めたのである。
《古代日本人文明史年表》
「古代日本人文明史年表」
我が国の建国はいっかという大問題は、これで結論が出たように見える。
この間題はいっが建国かという定則がないから、
在来ならこれを結論にしてそれで済んできた。
でも本当はそんなに単純ではない。
真相はもっと高度のものなのである。
年表にして見てみよう。
B.C.E.3000年 エーゲ海にミノア(美濃国)文明開花。
クレタ島にミノス(蓑洲)大王時代がくる。
妹のエウロペがミノスの母だから、
カドモスはこの時代の人。
B.C.E.2000年 シュメル王朝誕生。
スメラギが初めて即位。
その呼称が我が国に現在まで残るし、
多くの文化財を残しているから、
間違いなく私たちの先祖。
B.C.E.1550年 稲敷人によって殷王国誕生。
沖縄のカリエン(高族)
貝貨幣で殷帝国を繁栄させる。
その出先基地・高句麗は五彩圏で最も早く建国。
その初代大王は、高朱蒙(コスモ=世界・宇宙・人類)と
いうギリシャ名の持ち主だった。
B.C.E.1500年 フェニキヤ誕生。
B.C.E. 660年 アカイヤ人ミケーネ時代を作る。南国=アカイヤ。
ミケーネ=三毛野。
ミケーネと国分・隼人の地理条件も酷似。
神武要素が完全に揃う。
また同じ頃、新バビロンも誕生。
《アカイヤ人がつくったミケーネ文化》
「アカイヤ人がつくったミケーネ文化」
ついでにお話ししておくと、テーベはもう1つある。
エジプトのナイル川の中流に栄えたエジプト中王国時代の首都である。
アモン信仰の聖都だったからルクソールやカルナークといった有名な神殿群や、
ハトシェプスト女王を祀る神殿や多数の墳墓群があるので周知の所である。
この2つのテーベは、どちらもThebesと書かれて全くの同名である。
地中海が隔(へだ)てているといっても航海者には大した距離ではない。
2つのテーベは我が国の巴利国→播磨や、台湾の大和¢奈良の大和のように、
国境を越えた人の移動を物語っているのである。
すると我が国の古代文化にエジプトの影響が見られても、
これまた何も不思議ではなくなる。
それだけではない。
インドのアソカ王の仏教宣布団はソナカたちと同時に出発して、
ギリシャ本土やアレクサンドリヤに行っている。
それが紀元前3世紀の現実なのである。
唐代のシルクロードしか頭に無い学者が唱える狭い視野の古代史が、
どんなに現実離れしているか、いまさら非難する気もしない。
それよりミケーネ文化について、も少しお話ししておこう。
アカイヤ人はB.C.E2000年頃から南下して
ミケーネ、ティリュンス、オルコメノス、ピエロスなどの
小王国群を建て1
500年頃に最盛期を迎えていたクレタ勢力を一掃して
エーゲ海文明圏の支配者になったので、その文化をミケーネ文化と呼んでいる。
《》
「」
《検討すればする程凄いの真実度》
「検討すればする程凄いの真実度」
ギリシャ本土からペロポンネソス半島に入る狭い回廊を通ると、
すぐ南に伸びた湾がある。
その北端にミケーネがあるが、
その位置関係は、鹿児島湾北端にある国分・隼人と、
湾の形も大きさも、湾口の方向も、町の位置も、気候風土まで、
余りにもそっくりだったのである。
その隼人町に若三毛野命=神武天皇が
東征に出発した地点・高千穂の宮がある。
『古事記』の記録がどんなに正確で素晴らしく、
いい加減なものではなかったか、よくわかる。
ミケーネから来た人々は、
その故郷そっくりな環境に驚喜し、
そこをミケーネと呼んで、都を置いたのである。
若の字はジャク=邪久=屋久島だから、完全に位宮に一致している。
その支配者を大隅語で「若・三毛野(ミケヌ)」と当て字したのだ。
私たちは、そこが卑弥呼・倭国の首都や応神天皇の軽の明の宮になり、
姫木山や鹿児島神宮が残っていることを知っている。
しかしギリシャ人がなぜ?そんな日本列島の南端、現代でも辺地である、
そんな土地に、たとえ足掛かりに過ぎなかったにしろ、王都を置いたのか?
と深い疑問に悩まされてきた。
その疑問がいま、
このミケーネとの地理環境の一致で一度に氷解した。
これで卑弥呼がなぜ?そこへ戻ったのかも疑いを残さない。
『魏書倭人章』はここまで解明できなければ、
これらの大きな疑惑が障害になって、
真相を正しく把握することはできなかったのである。
《この建国紀元ぬきの『魏書倭人章』論は無価値》
「この建国紀元ぬきの『魏書倭人章』論は無価値」
それは、この建国紀元のきめ方で、
卑弥呼が共立された当時の「倭人の構成」が、
明瞭にわかるからでもある。
沖縄から高句麗まで、
途中に川内(コウチ)や高国(クマ=熊・肥)・小倉を残すカリエン系がいた。
また百済野(ハセンノ)→大隅(烏孫)→明宮(アカイヤ)・ミケーネ。
アイオリヤ(綾織)→青=オオ=倭国のギリシャ系がいて、
巴利国・ソナカ=(襲の国)と
観世音菩薩や5000語を超すパーリ語を日本語に残したマガダ系がいた。
これらの人々が卑弥呼を共立して連邦を構成した理由もまたわかっている。
彼女はソナカが熊襲(本当はクマ=カリエン系)に殺された後、
アマゾン(天孫)たちを率いて、
南九州から朝鮮半島までを掃討して仏教徒にした。
これが神功皇后記事のもとになった史実だから、
彼女は在来の説のようなシンデレラ的女王ではなく、
記録にある倭国大乱の当事者であり、征服者だったのである。
『魏書倭人章』の倭人と倭国の研究は、
その最大の中心問題であるこの史実を抜きにしては何一つ正解はありえない。
こうした肝心の知識の欠けたどんな説も、
また卑弥呼時代にはなかった邪馬壹国を、
さらに輪を掛けて邪馬台国だと誤認して書いた説など、
一見の価値もない事は、いまさら言うでもない。
私(加治木義博)著が出る前の過去のいわゆるヤマタイブームは、
残念ながら、我が国の執筆者の教養の低さの証拠にしかなっていない。
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《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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