2012年4月3日火曜日

方位を示す四神の四つの色の名、青白赤黒(アオシロアカクロ)はギリシャ生まれ(1)



 《方位を示す四神の四つの色の名、青白赤黒(アオシロアカクロ)はギリシャ生まれ
 「<方位を示す四神の四つの色の名、青白赤黒(アオシロアカクロ)はギリシャ生まれ/a>」




 《日本人のルーツを立証した『黙示録』
 「日本人のルーツを立証した『黙示録』

 また、次に取り上げる「色」の名も問題なのである。

 それは色の名が少し変わっても、大変な問題になるからである。

 『黙示録』は私たち日本人にとって何となく縁遠いもののように思われていたが、

 事実は意外にも、

 身近な「大問題」を秘めていたのである。

 たとえば、

 4騎士の馬の色の名のうちの「青」だが、

 それも本によってまちまちである。

 だが「青」は原文「クローロス」で、

 麦の穂の青さや海の青、

 水の青などを表す言葉である。

 それから「青い顔色・色あせた・灰色がかった」など

 という二次的な意味が生まれた。

 この『黙示録』の4騎士の馬の色は、

 古代日本と中国とで、

 東西南北を表示するために「方位を示す色」として、

 四方に配分していた「四神の色」とぴったり一致する。

 「四神」とは、

 色と動物と方位を結びつけた「象徴的な目印」のことで、

 青竜=東

 白虎=西

 朱雀=赤=南

 玄武=黒=北の4種類である。

 その配置に合わせてつけられた地名が、

 日本列島にきちんと並んで分布していて、

 その移動した跡が倭国と日本国の消長と表しているばかりか、

 西はタクラマカン砂漠から

 東はシベリア東部に至る間に、

 広く分布していて、

 古代日本人がどんな人々であったかを明瞭に記録し、物語っている。

 その人々が、

 卑弥呼や壹與など

 『魏書倭人章』の登場人物と同じくギリシャ系の人々であったことが、

 詳しくわかっているので、同じギリシャの

 『カピトーリウム神託集』を引用した『黙示録』に、

 同じ「青白赤黒」の色のセットがあっても、少しも不思議ではない。

 それは先にお話しした卑弥呼がビューティアの一人であり、

 「神託」によって倭人を治めたという事実と、

 その後継者が沖縄にいまも現存して、

 頭に月桂冠を戴いて神を祭るなどの習俗が、

 『黙示録』と直結している真相に、

 さらに有力な証拠を加えるのである。


 《伊都とは「北」、四神は卑弥呼時代
 「伊都とは「北」、四神は卑弥呼時代


 《四神のルーツはシンドゥ教
 「四神のルーツはシンドゥ教


 五彩圏は、

 いうまでもなく方角(方位)の「四神の色の知識」がなくては生まれない。

 それは先にお話ししたようにインドの宗教文明の産物であるが、

 日本では間違って四神というのは中国生まれだと思いこんでいる人がいるので、

 もう少し詳しくお話ししておこう。

 宇宙を支配する大神ビシユヌーは、

 銀河やオリオン座大星雲(銀河宇宙)を

 思わせる巨大な七つの頭の竜アナンタ

 (『ヒミコ』参照)に乗っている。

 そしてベッドにはシエーシヤ竜」を使う。

 彼は太陽神だから竜も東から出てくる。

 竜は
   インド語のシャカ、

   ネパール語のシヤケ、

   ギリシャ語のスキュタイ、

 そして中国・日本語のサカ人に特有のトーテムなのである。

 仏教を守護する八大竜王や、豊玉姫や、スサノオの大蛇退治も、

 ジークフリートの竜退治も皆これがもとになっている。

 南の朱雀がビシュヌーの旅行用の

 航空機・金翅紗鳥=カローラ・ガルーダから変わったことは、

 つい今しがた説明したが、同じように亜も中国で誤解されたもので、

 本当は中国にはいないがインドにいるライオンが、

 ビシュヌーそのものの変身「人獅子」として崇拝されているものなのである。

 このことは中国製といわれる3~4世紀の銅鏡の鏡背図を見ればわかる。

 それは虎ではなくインドの人獅子の顔をもっている。

 中国の四神の北の「玄武」は、亀と蛇の二本だてになっている。

 これが中国の四神はインド起源であることを、つぎのようにいちばんよく物語っている。

 言語復原史学会
 言語復原史学会

 すると、このことは、もう一つの問題とも切り離せない緊密なものになる。

 それは同じイタの文字「一大」をもったものが、もう一つ出てくるからである。

 原文と訳を載せると

 「自 女王国 以北 特 置 一大率 検察 諸国 諸国 畏 憚 之 常治 伊郁国」

 女王国から北には特に一大率というものを置いて、

 北の諸国を検察させている。

 諸国はそれを
 
 恐れて自由に行動できないで小さくなっている。

 一大率は伊都国に常駐して、

 その任務を果たしている

 というのである。

 「北」を専門に検察する検察庁が「一大」という名をもっているのである。

 これも「イタム」に対する当て字であることはいうまでもない。

 そしてそれが「伊都国」に常駐しているというのだから、

 やはり「イ=伊」で始まって、

 沖縄語なら「タ」と発話する「卜=都」が続く国名「伊都国」もまた同じく

 「イタム=黒=北」に対する当て字だったことは、

 そこの役所「一大率」が同じ発音をもっているので、

 互いに証言しあって疑いの余地がない。

 このイタムの実在の発見で、

 これまで伊都国だという説のある「糸島」は「イト」という発音で、

 伊都をイトと発音するように変わった、ずっと後世の地名だとわかる。

 以上で「四神」の文化が、卑弥呼時代に、

 少なくとも九州に定着したことが確認できたのである。


 《完全にそろう九州の四神地名
 「完全にそろう九州の四神地名

 今のマレー語圏では、「イタム」は「ヒタム」という発音の方がポピュラーに使われている。

 九州でこれに合う地名が大分県の日田市を中心とする広大な地域に広がっている。

 間違いなくこれは「日田国=ヒタム」だから、

 これも伊那国の後身として見逃してはいけない。

 この佐賀から大分にかけての地名群が「黒=北」だとすると、

 他の東西南の三つの方位にあたる地名も九州に残っているはずである。

 必ず調へてみなければならない。

 東は青だが、これは「青」の文字が残る「青島」が南東部の宮崎県にあり、

 また「オオ=青」という発音を残している「大分県」が、

 九州の北東部全域を占めている。

 西は白だから「シラ」である。

 すると熊本県の西の海は「不知火=シラヌヒ」海と呼ばれている。

 これは「白のヒの国」の海ということだし、

 それに面した都市は「八代=8つシロ」だし、

 また熊本市を流れる川は「白川=シラカワ」である。

 南は赤で九州の中央部になければならないが、

 鹿児島の桜島に「赤水」があり、

 その北にはマレー語の「赤=メラ」に合う

 「米良=メラ」が宮崎県の西部にあって、

 位置関係も発音もすべて完全に合っている。

 沖縄~大隅語ではラ行がナ行になりメラはミナになるが、

 『魏書倭人章』の弥奴国はこれに合うし、

 大隈の溝辺町には三縄=ミナワという地名もある。



 《五彩圏連邦時代につけられた魚の名前
 「五彩圏連邦時代につけられた魚の名前

 それが<高句麗>と同じ名だという理由は、

 <マグロ>は本当に<マックロな黒い肌>をしている

 「黒魚」であり、「高麗」は

 沖縄語では「クライ=暗い、クル=黒」という発音への当て字、

 鹿児島語でも「クレ=暗い、黒い」と

 読める「黒の国」への当て字だったからである。

 <卑弥呼時代>の前後には、

 九州と朝鮮半島とをいっしょにした連邦があって、

 その<東西南北>の位置にある国を「青白赤黒」の

 『四神(しじん)』の色の名で呼んでいた。

 中心は<黄色>だったから、

 この<五色の連邦>を私は<五彩圏連邦>と名づけている。

 <新羅>の古い時代の名は「斯盧」と記録されているから「シロ」だったし、

 東の大隈にあった「倭」は、南中国語で「ウォー」で、

 <青>の方言「オオ」に当たり、

 鹿児島県本土の<南>は海で、水に覆われていたから、

 当時の言葉で「水」を意味する「アカ」と呼ばれていた。

 残る北端の国・<高麗>が「クロ」と呼ばれていたことがこれで確実に証明される。

 も少しつけ足すと北の<四神>は「玄武」だが、この<玄>も<クロ>と発音するし、

 意味も黒なのだ。

 <高句麗>の<高>の字は、南九州方言では「タケ」と発音するから、

 「武」の字もこの「タケ」に当てた当て字だったのである。

 以前は<四神>は中国から日本に入ったものとされていたが、

 こうした発音を考えると、

 この<四神=五彩圏>は日本の文化で、

 中国へはこちらから輸出したものだとはっきりわかる。

 <高句麗>はどこからみても「クロ国」だったのである。

 だがこれでもまだ疑問が残る。

 それは朝鮮半島の国々の魚名は揃ったが、
 
 かんじんの<倭国>はどうなったのか?…ということである。

 実はこれもまた<マグロ>が解いてくれる。

 <マグロ>は<出世魚>と呼ばれて、
 
 成長につれて<呼び名>が変わる。

 その<呼び名>も地方で変わるから東京の名を例にとると、

 体長40cm重さ4kgていどのものは「コメジ」、

 80cm、8kgぐらいのものは「メジ」、

 120cm、20kgほどなら「マグロ」、

 280cm、200kg以上のものは「オオマグロ」と、区別して呼ぶ。

 最大のものに「オオ」をつけるのは、<マグロ>に限らないが、

 この「オオ」が、四神の「青」に当たるのだから、

 <マグロ>の場合はこれは奇妙なことになる。

 <黒は北の国>の意味で、<高句麗>を指していたのに、

 それに<東>を指す<青>が加わると、

 「東の国・高句麗」ということになるから、

 この場合の「オオ」は青ではなくて

 「大きい」という意味に限定された使い方とみるしかない。 

 このことで「オオ」は「青」と「大」の

 二つを意味する言葉であることが確認できたから、

 <マグロ>の名は、<クロ>が<高句麗>を意味していた時代には「クロ」で、

 後に別種が現われたので<マ>を加えて「マグロ」とし、

 <オオ>が<青の国>を意味せず、

 <大きい>という意味しかなくなった時代に、

 さらに「オオマグロ」という名がつけられたもめだったと、

 名の歴史が詳細にわかる。



 《古代ギリシャと倭国連邦と『四神』の謎と答
 「古代ギリシャと倭国連邦と『四神』の謎と答

 「姫講は」

 「姫講(ひめこ)さあ=卑弥呼様の講」という名で

 現代まで継続している南九州の「観音講」。

 ⑦は省略して、

 ⑧の「応神皇居」も、

 繰り返しお話ししたことだが、

 それが古代ギリシャの南端の国アカイヤの名をそのまま使って、

 「明(アカイ)・宮(ミヤ)=御家(ミヤ)=家(ヤ)=アカイヤ」という

 「南の皇居」を意味する表現になっている。

 そのカルシマはそのまま鹿児島と当て字できるし、

 カルの別の当て字は「姶良(カル)」で、

 これはカルから「カラ」になり、韓国とも呼ばれた証拠が、

 霧島山塊の主峰「韓国見岳(カラクニみだけ)」の名になって残り、

 応神が支配した朝鮮半島に韓国の名を残し、

 南九州から百済、新羅の名がそこへ移動したことを、否定する者はいない。

 そして『三国史記』は明瞭に初代新羅王を赫居世と記録しているが、

 その名は「赫居世国(カゴシマ)」という当て字。

 ほかにも13才で王になったなど、壹與だったことを示す記録に満ちている。

 南が赤(四神の朱雀(すざく))なら

 北の玄武は「玄(クロ)武(タカ)」で、クロアチアとタカクニ(高句麗)。

 その中央に、東は青竜=「青=オオ=倭、竜=辰巳島=種子(タツネ)島。

 地中海の東瑞に面していた

 古代アイオリヤ(藍織国(ヤ))=青(ア)い織り(オリ)物の王(ウ)国=アオリウ(青竜)国

 (後世→播磨の相生(アイオイ))である。

 西は白虎=「白(シラ)ヒラ(枚)ヒラキ(開)(木(キ))=コ(虎)、

 枚聞(ヒラキキ)・開聞(ひらきき)。

 このシラは古代シラキウス(今のイタリア領・シチリア島)である。


 《
 「

 『参照ブログ』
 古代メソポタミア
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
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 古代史の画像 
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」         
 ひねもす徒然なるままに  
 古代史つれづれ

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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