私たち倭人(ウワイト)の子孫としては、ウバイドという祖国の発生年代は、是非知っておきたい大問題である。 発生時期はマルドゥク信仰などでバベル族が分化した頃であるということになるが、今後、若い人たちの研究課題である。 また、オリエント史(ウバイド・アッカド・シュメル等)・ギリシャ史・インダス文明史・中国史・朝鮮史等の理解を深めることにより、 今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化の源流、日本語の語源・成立、日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できれば幸いです。
2012年4月3日火曜日
方位を示す四神の四つの色の名、青白赤黒(アオシロアカクロ)はギリシャ生まれ(2)
《方位を示す四神の四つの色の名、青白赤黒(アオシロアカクロ)はギリシャ生まれ》
「<方位を示す四神の四つの色の名、青白赤黒(アオシロアカクロ)はギリシャ生まれ/a>」
《倭人圏はギリシャ帝国と同じ四神配置の連邦》
「倭人圏はギリシャ帝国と同じ四神配置の連邦」
これで、
卑弥呼が生まれたときにつけられた名は、
絶対に大日霎貴ではなかったことが、
確認できた。
もう間違いを犯す危険はない。
それと同時に、
古文献は貴重な史料ではあるが頭からウ飲みに丸々信用はできない。
こんなふうに徹底的に確かめてから、
確実なデータだけしか使えないのだ、
ということもわかった。
それにもまして、
動かなくなったのは彼女たちの血族が、
やはりギリシャ出身だという確証がえられたことである。
これまでも繰り返しお話してきたが、
アカイヤはギリシャの最南端、地中海に面した暖国で、
まさに九州における鹿児島県の位置にある。
さらにいえば北端にクロアチアのある
現在のギリシャ周辺の『四神』式国家配置と、
高句麗を北端とする当時の倭人圏とは、
さらに完全な一致を見せているのである。
(北)
クロアチア
↑
(西)シラクサ←ギリシャ→アイオリヤ(東)
↓
アカイヤ
(南)
《我が国の四神とは全然ちがう古代中国の方角意識》
「我が国の四神とは全然ちがう古代中国の方角意識」
戦前は元旦に「四方拝」を行なう習慣が普及していたが、
その四方の神の正体は、
<青竜>・<白虎>・<朱雀>・<玄武>という「四神」である。
在来の学者は、
その「四神は中国の文化を輸入したものだ」と、さも権威ありげに教えてきた。
だが中国には我が国の<神道>はない。
近いものは<神仙>を崇拝した<道教>だけだ。
その道教の「四神」も隋唐以後になると我が国のものと同じになるが、
それ以前の方角思想は、我が国のものとは根本的に違っていた。
その証拠は、漢の建国史で最も有名な一場面である
<項羽>と<劉邦>の「鴻門の会」に出てくる。
常勝将軍の<項羽>はづかづかと席に入ってくるなり、西の椅子にどっかと座る。
<劉邦>は南の席に案内された。
これは何を意味したか?。
西の席は東に向き日の出の方角を見る最も縁起の良い最高の席である。
これは南面する北の席も同じく明るい太陽に対面する意味があったので、
天皇は南面し、
最下位の武臣は北面して座るので
『北面の武士』という特殊な呼び名も生まれたが、
これは後世の我が国でのこと、
中国では西が最高の地位を意味していたのだ。
<劉邦>は臣下の座る席に座らされた。
それも暗く寒々とした北を正面に見る最低の席、だったのである。
この極端な差別が<項羽>の四面楚歌=悲惨な最期を招いた。
古代の中国人はこんなに「方角に強い差別意識をもっていた」。
これが中国本来の<方位信仰>なのである。
《隋代には中国にも入っていた我が国の四神》
「隋代には中国にも入っていた我が国の四神」
これに対して我が国の<四神>は、東西南北にはどの方向も、
特に尊いとか下座(しもざ)だという差別はない。
最も尊いのは、中心の「黄」の位置だけなのである。
ところが中国にも、
隋代になると東西南北に
<青竜>・<白虎>・<朱雀>・<玄武>を配置した鏡がある。
唐代に書かれた小説の『古鏡記』に、
はっきりと「中央の紐(ちゅう=摘(つま)み)には
麒麟(キリン)が、その四方には亀・竜・鳳(おおとり)・虎が鋳出されている」と書いてある。
これで初めて五彩圏の中央の「キ」に、
「キリン」の「麒」が当てられたことがわかるのである。
隋唐の支配者たちは中国の先住民ではない。
<高句麗>という国名とカリエン人の<貝貨交易>と、
<倭迹迹日百襲姫>と書かれた<卑弥呼>たちの
「孝霊天皇系譜」で明らかなように、
朝鮮半島北端の<高句麗>地方は、
3000年前から沖縄系の人々の居住地だったが、
それから分かれた「鮮卑」と呼ばれた人々が、
今の中国東北区から中国に入って、
<五胡十六国>時代に中国を征服して、隋唐時代をっくったのである。
それは7世紀の初頭以後だから、
<卑弥呼>時代からははるかに後世である。
その<卑弥呼>時代以前の中国鏡には、
<四神>を描いたものなど1面もない。
さらに考えると<項羽>と<劉邦>の<方角思想>は「上下階級思想」で、
敵対支配関係なのに対して、
我が国の「四方拝」は、
順序はあるが四方を平等に尊崇する和(なご)やかなものである。
《四神思想は絶対に中国のものではない》
「四神思想は絶対に中国のものではない」
うっかりしていると、
我が国の<四神>の<中央の黄>は、
<麒麟>の<麒>が語源のように見えるのだが、
それは何でもかでも古代文化は中国から入ったという、
根本的に誤った先入観しか、もっていないからで、
も少し精密に世界史を読みさえすれば、
我が国の建国以前の世界の先進国は、
北の中国ではなく、
エジプトからバビロンまで、すべて西に集中していることがわかる。
ギリシャとインドは紀元前4世紀には、
<アレクサンドロス>の東征で一体といっていいほど固く結びついていたし、
<釈迦>はそれ以前に人類最高の哲学を生んたが、
その母体は西に海をへだてただけの
<シュメル>(現在のイラク)大文明があったことは、
その須弥山(シュミせん)(シュメルを象欲したもの)崇拝でよくわかるし、
インドと中東・西欧は大規模な往来と混血を繰り返していた。
その証拠にインド-アーリヤ語は、
遠く北欧の隅々にまで行き渡っている。
また<五彩圏>の<中央の黄>は、
<黄泉の黄>でもあったことは、
<ペルセポネ>の<黄泉戸喫>(よもつへぐい)の説話で、
古代ギリシャの法律であり、
その執行者=王を意味する<キ>でもあることがわかるとお話しした。
この<五彩圏>の色の名の<キ>も、
<王>を意味する<キ>(君のキ)も、
ともに日本語なのだから、
中国語の<麒麟>の<麒>ではない。
また周囲に配置された<四神>の色名も
全て日本語で読んでこそ意味が通じるが、
中国語の発音では何の意味もなく、
見つけることもできない。
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