2011年4月17日日曜日

言語復原史学(文献史学)と比較言語学の相違

出典:言語復原史学会

○『言語復原史学(文献史学)』とは

なぜ[言語]が、歴史の真相を教えるか?

これと同じことは、同じ『古事記・日本書紀=記・紀』の中の記事でもみられる。

[言語]を分類し、比較して、『真相』を整理した。

何が重ね合わせを困難にしていたか?

それは[名詞]が合わないことだった。

同じ人物のはずなのに、どうしても別人のようにみえる。

それはなぜなのだろう?

その答えは

「記録者が変わると、同じ名詞でも、発音も当て字も変わる」という[原則]が働く。

その変化を引きおこす原因は、[方言差]や[外国語]である。

また[時代によって変化する文字の発音]もある。

それらはすべて[言語]の上に起こる問題である。

だから元の名前に戻すには、それらの最初の文字は、

だれが?

いつの時代に?

どこの言葉で?

なんという発音で?

何を書いたのか?

を調べれば、その名詞の正確な[元の発音]が復元できる。

それが同じ名を写していたのなら記録が変わっても、同じか、ごく近い発音に復元できる。

もしそれでも一致しなければ、はっきり別人だと判定できる。

バラバラになっていた記録を、この方法で見分けて正しく配置すると、

それまで大混乱していたものから、

『真実の歴史』が、[最初の記録どおり]に[復元できる]。

これが『言語復原史学』の原理である。


○『言語復原史学の役割と古代情報』

「出土品は「言葉」をもたないしかしゼロではない」

出土遺跡名が『言語遺物』だから…。

仮にそれが遺跡造営時のものではなくても、周辺の地名を調査すると、

その造営時代の地名や、

それに代わる何かの手掛かりをもった伝承などが見つかる可能性は大きい。

「言語遺物は古代発音で読めば史実を復元できる」

文字は発音を写したものだから同じ発音で読まないと別のものなってしまう。

中国の古い地名「東京=トンキン」をトウキョウと発音したのでは、

相手は日本の東京都だと間違った意味に受けとる。

発音こそが言語の生命だから、正しい発音で読まなければ正しい答えは得られない。

古代史を復元する手掛かりの中心は文献記録だが、

そこに書かれた名詞はすべて記録当時の発音で読まねば無価値である。

言語史料にはこうした絶対原則が実在しているので、

古代史文献はまず全て記録当時の発音や名詞に復元して、

はじめて求める史実を復元できる。

この操作を欠いた説は全て空論に過ぎず、再評価が進むにつれて消去されてしまう。

「報道と現実のギャップが考古学離れを生む」「

古代の真相解明に情熱を傾ける人々は皆、ものいわぬ発掘物に、

あきたりない想いを抱かれたはずである。

過去に世を騒がせた発掘を、当時の報道と、時を経た今、

何一つ決定的な結論の見られない現状を見比べると、

踊らされたのは物見だかい野次馬だったとしか思えない。

古代史解明に知的ロマンを求める人々には、

こうした現実がどれほど夢を奪うかと嘆く有識者も多い。

しかし、それは文字記録の皆無に近い日本の発掘先史考古学の宿命であって、

それを想像と手探りで解説してきた学者たちを責めてはならない。

発掘考古学は史学の全てではなく、発掘という一分野を担当しているに過ぎず、

史実を復元する任務はもっていないからである。

「言語復原史学が今、世界の史学を輝かせはじめた」

そうした発掘考古学の手の届かない部分を担当するのは文献史学の役目で、

それに欠けていた古い手法を改善したのが、頭書の原則を発見し、正しい発音を復元して

『言語文化財』の徹底した発掘に努めたのは「言語復原史学」で、

その成果がいま花咲きはじめ、徹底検討を繰り返して得た「動かぬ定点」が、

次第に日本建国の史実像を拡大しつつある。

その意味ではこれまで半ば眠っていた上記記載のブログの内容が『文化財…情報』の、

過去の全ての情報が、今こそ眼を覚まして、真実を物語りはじめたのである。

それはまた同時に副産物として、これまで定説化している西欧学界主導の世界史の誤りも、

明快な立証力でどんどん改訂し続けている。

あなたがお気づきにならないうちに、世界の人々が求めていた真相が続々と展開し続け、

世界の真実の古代史が日々再生し続けている。

世界で最も遅れていた日本の史学。

3世紀の歴史さえ混沌としたまま、

国家を象徴する正史ですら15代もの天皇を義務教育から削り去ったまま、

という開発途上国にも見な最低水準にあった日本の史学。

それが今や世界の学会をリードしている。

これこそ、日本の旧史学に飽き足りない有識者たちが、

求めてやまなかった最新の『文化財情報』なのだ!


○『言語復原史学の趣旨』

現在の文化財保護法には「言語の保護」は含まれていない。

目で見え、手でさわれるものを「文化財」として取扱うが、

それ以外の芸能などは「無形文化財」と呼び、別扱いにしている。

その中にも「言語」そのものはおろか、地名や方言に至るまで保護する条文がない。

では我が国の文化財保護法とはどんな分野の法律なのであろうか?……。

それはいうまでもなく「歴史分野」のためのものである。

その歴史は現代に書かれたり話されたりしたものでなく、

古代から受け継がれたものを含んでいる。

ここで忘れてならない重要な問題が発生する。

それは言語とは、時とともに変わるという事実である。

だから古代に記録されたものは古代語の知識なしには読めないし、

江戸時代に書かれたものは江戸時代の言葉と文語にたいする

充分な知識がなければ意味はわからない。

また歴史は文献なしには解明できない。

膨大な発掘品が収蔵庫から溢れていても、

それがどれだけの新事実を私たちに教えてくれたか?

それは学問には絶対に禁物の「…ではなかろうか?」という

「想像」だけを撒き散らしただけで、

史学をかき乱し、国民の頭を混乱させることしかできなかった。

はっきりした実例は、高松塚と藤の木古墳>が誰の墓かという最小限の真相さえ、

考古学は永い年月が経過した現在も、まだ確定できないでいる。

それはなぜか?

我が国に文化財保護法が生まれた当時の思潮が「程度の低い唯物思想」だったからである。

「目に見え、手でさわれるもの」だけが対象だとしたことがそれを証明している。

その思想は90年前にソ連を生み、スターリンや毛沢東を生み金日成を生んだ思想だ。

スターリンらが何をしたか…。

そのソ連などがどうなったか…。

その世界を二分したソ連が崩壊して跡形もなくなった今も、

我が国は歴史を「唯物思想」に撹乱され、「唯物史観」の考古学と、

津田左右吉氏らの流れを汲む学者だけが権威で、それに反対する者はすべて素人であり、

幼稚だとされてきたのである。

これで、「なぜ?…高松塚や藤の木古墳の謎は解けないのか?…」

その理由がおわかりになったと思う。

言語で書かれたものを「言語抜きで解明できる」と錯覚したままでいて、

それに加えて、

ソ連でさえ崩壊させてしまった素人だましの欠陥思想に拘束されていて、

歴史という複雑な、深く真実を秘めたものの謎が解けるわけがない。

これでは我が国では私たちの本当の先祖は、永遠に私たち子孫に知られることなく、

架空の化け物を先祖として拝み続けるしかない。

そんなことは先祖の霊が許さないし、私たちの知性も許さない。

だから私たちは、無能な官僚に代わって自分たちの手で、

私たちの先祖の「偽りのない真実の歴史」を

「発掘し」「復元して」「歴史をもった国・日本」に高めようと努力してきたのである。

これが『言語復原史学の趣旨』である。


○比較言語学は言語復原史学と逆の学問

比較言語学は、その「言語全体」、

たとえば日本語は、どういう言語と近親関係があるか、を調べるもので、

全く性格も方法も違い目的も結論もちがう。

欧米で行われている比較言語学は、

ほとんど単一の母語「インド~アーリア語」圏のものを扱かうことから始まった。

これは、はっきりいうと、ドイツ語、英語というより、

ドイツ方言あるいは英国弁というべきものであった。

ごく単純な比較方法で、その語根と、変化部分とが、

素人にも理解できるような種類の単語が、

ずらりと並んでいたのである。

ところが、すでに簡単明快に結論が出たように、

倭人(ウワイト)は間違いなく複雑な混成民族であった。

このことは現代の日本語にも尾を引いていて、果して日本語とよべるか、

と極言したい程の構造をもっている。

それは考えてみれば当然のことであって、

距離的には中国語と、満洲語と、オロッコ、ギリヤークと いった北方民族語とも近く、

海流的にはマレー、フィリピン、印度シナ語に近く、

その背後にはインド~アーリア語がひかえており、

しかもヨーロッパなら当然一国語とされる程に違いのある

琉球弁、南九州弁、北九州弁、四国弁、山陽弁、関西弁、紀州弁、尾張弁等々といった

特異な方言圏を国土の中に抱えこんでいる。

これを欧米流の比較言語学で処理しょうとしても、同じ法則にあてはまらなくて当然である。

しかも、紀元前にさかのぼって歴史の明らかなヨーロッパに比べ、

日本の歴史は本当のところ8世紀になっても、

いまだ事実かどうか未確認のものが多い。

言語の変化はほとんどが政治的変動によるものであるから、史実と照合することで、

ごく常識的に処理できるはずのものが歴史の欠除によって日本では不可能なのである。

原則的には同一方式で明確な答えが出るように見えるが、

直輸入の学問では全くどうにもならないのが日本語の実状なのである。

これまで日本の比較言語学が魏志その他の海外文献の解読にも、

古代史の言語面にも貢献することのできなかった原因は、

この特異な実体に対して、生硬な直訳ものの物真似学問しかなかったためである。

学問というのは見せかけだけでは何の役にも立たない。

どんなに見事に組み立てられているようにみえても、

ヒューズ一つ、ハンダ付一つのことで

テレビやコンピューターが役に立たないのと同じである。

これと全く同じことが米国有数の日本語学者

ロイ・アンドリュー・ミラー氏の考え方の上にも起っているのである。

欧米語では何でもないことが、日本語にあてはまらないのである。

ロイ・アンドリュー・ミラー氏がヨーロッパの歴史なみに扱った日本の歴史は、

ロイ・アンドリュー・ミラー氏の結論を根底から間違わせてしまったばかりでなく、

ロイ・アンドリュー・ミラー氏の業績にもいささか傷をつける結果になった。

これは日本の史学を高く詳価しすぎた結果であって、責任はこちらにあるのである。

このように因果関係を明らかにしてくると、

私たちには、言語学と、私たちが言語復原史学で実行しようとする学問とは、

同じ材料を扱かいながら全く別のものであることが、次第にはっきりしはじめる。

なぜなら、ロイ・アンドリュー・ミラー氏らの比較言語学では、

類似した単語を集めて比較して、

そのちがいと、その原因とを明らかにするのが主眼であるのに、

言語復原史学は、言語そのものよりも、

それを表記した「文字」のもつ発音の変化を全部探り出し、

それをまた別の単語と比較することを、繰りかえすことによって、

文献上に見られる名詞の本当の発音、その人種関係、その役割といった

歴史上の事実を復原することにある。

だから、あるきまった一音しか用いてはならないという

ロイ・アンドリュー・ミラー氏らの主張とは正反対に、

国際的にも方言的にも可能なかぎりの字音を探り出し、

あてはめてみるシステムが根本原理をなしているのである。


○言語復原史学の言語比較法は言語学とは正反対

まず熟慮すべき点は、こうした比較を完全にするためには、

アルファベットやギリシャ文字には、

細かいアクセント符号を一切つけないことである。

それは目的が「言葉を構成する根本的な音の比較」だからで、

方言学的な小差=「訛り」や「音の抑揚」は無視しないと、

視覚的にも聴覚的にも悩殺されて、貴重な本質的証拠を見失ってしまうからである。

比較言語学なら、その「差異」が分類の基礎になるが、

「言語復原史学」では、

それとは正反対に、差異は捨てて「共通点」を発見しなければならないからなのだ。

単語を扱うから、何でもかでも言語学に従うのではない。

目的が正反対なら手段も逆でなければならない。

その最も重要な手法の一つが、単語の抑揚や長短や訛りなどを無視して、

単音の共通度や、音を互換できる可能性を徹底的に検討することなのである。

現実に、方言だけでなく日常会話でも、言葉によっては単音が前後逆転したり、抜けたり、

余分に加わったりしていることもある。

私たちが日常耳にし、口にしている言葉は、決して教科書のように四角四面なものではない。

単音が前後に入れ代わったり抜けたりしていても、よく相手に意思を伝えることができる。

ましてや異なった言語で育った人たちが聴いて書きとめたものには

誤りがあって当然である。

偏狭に誤りだと独断して捨ててはならない。


○日本語の巨大ルーツ

日本語の文法はウラル・アルタイ語と同じだから、

それと同じ祖語から分かれたのだろうというのが在来の定義(実は仮定)で、

その歴史もルーツもまるでわかっていない。

世界の大国中こんな状態のまま停まっているのは日本語だけで、経済だけは超大国でも、

自国語の歴史すら不明のままでは、諸外国の人々に蔑視されてもやむを得ない。

「比較言語学の無能と自滅」

だがそれは我々日本人の責任ではない。

欧米で生まれた比較言語学のもつ根本的な誤りに原因があるからである。

言語は単語を並べて意思を伝えるものだ。

その並べ方=語順を「文法」と呼ぶが、比較言語学は文法を分類の拠り所にしてきた。

しかしそれではその言語の出発点が、

他のどの言語と同じかという言語の系統がわかるだけで、

それ以外のことは何一つわからない。

「言語を本当に構成しているのは単語」文法は無形の「語順」に過ぎない。

会話の全体を占め有形の文字で表現される本当の言語は「単語」である。

いま私たちが使っている厖大な量の単語が、

文法ができた数万年前から存在したはずはない。

最初は原始的な単語を並べていたに過ぎない。

人知が進むにつれて次第に新しい単語を加えながら現在の言語に成長したのだから

言語は使う人々の文化発展の歴史を記録している。

それは「単語」が記録しているのであって、

原始時代そのままの文法は何の役にも立たない。

文法で言語を分類するシステムはその言語の出発点と

その時の近縁語を知る以外には何の価値もない。

単語を「借用語だから駄目だ」といって切り捨てる学問では

言語の歴史も価値もわからない。

これは個人でいえば家系だけはわかるが

それ以後の履歴は何もわからないということだ。

仮にそんな「○○氏の子孫」としか書いてない履歴書を提出したとすれば、

相手は異常者とみなして採用どころか検討もしない。

履歴書で必要なのは、その人物の学歴や経歴や実績だからである。

文法だけを言語の分類基準にした過去の比較言語学は、

こんなことにさえ気づかない古い学問の遺物でしかない。

「日本語はウラル~アルタイ語の一種だ」としてきた在来の定義は、

この程度のものに過ぎなかったのである。


○「借用語」

誤った定義の視点では、ウラル~アルタイ語の原始的単語以外は全て借用語にみえる。

だから

「借用語だ、日本語本来のものではない」とハネのけてしまう。

だが日本語は私たちの祖先が採用し、

生命を支え続けて今日を築いた必須の生きた言葉なのだから、

新しい単語が日本語に入った歴史と、それがどんなふうに成長発展してきたか、

その正しいルーツを知ることが必要なのである。

最も原始的な単語以外は全て借用語だと切り捨てては

私たちの祖先の歴史は消去されてしまう。

近世になって言葉だけが輸入された英語のように

「他の言語だけを借りる」ことは古代には不可能だった。

それらの言葉を話す人々が自身やってきて次第に新しい日本人を形成したからこそ、

今の日本語が出来上がったのである。

誰が教えたか?ではなく、

それらの単語は、

いつ、

誰が、

どんな風に、

日本語の中に加えたのか?

を知ることが重要なので、

それを知らなければ、日本人の本当の歴史もわからない。

『参考』
歴史学講座『創世』うらわ塾
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊  
ウワイト
古代史の画像

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