出典:言語復原史学会
言語復原史学会
言語復原史学会
「沖縄の海底遺跡」
「与那国島海底遺跡」
「[PDF] 海底地形図による沖縄海底遺跡の 3D 表示」
「今後の研究課題・再検討価値が蘇ったムー大陸や古文献」
「ムー大陸実在! その実体は日本列島」
「オリエントの遷都開始期」
「沖縄の海底遺跡」
沖縄の海底遺跡1
沖縄の海底遺跡2
沖縄の海底遺跡3
沖縄の海底遺跡4
「与那国島海底遺跡」
与那国島海底遺跡
与那国島海底遺跡
「[PDF] 海底地形図による沖縄海底遺跡の 3D 表示」
「[PDF] 海底地形図による沖縄海底遺跡の 3D 表示」」
「今後の研究課題・再検討価値が蘇ったムー大陸や古文献」
チャーチワードがインドで発見したという『ムー大陸』の話もまた、従来は余り信じられていなかったが、その実体は8000年続いた我が国の話が誤伝されたものと考えると、生々(いきいき)とした生命を持ちはじめる。
我が国はその位置もアジヤの東の海上に実在している。
ただ「ムー大陸」という表現に比べて日本列島はそのサイズが小さいので、地震国である我が国で絶えず起こり続けていた海没した部分の話が、誇大に伝えられたと考えると、辻褄が合ってくる。
そうでないと我が国の存在が、余りにも西の国々に伝わっていないのが不思議なのである。
我国が8000年の歴史を持っていたことが確認できてみると、過去に誤伝や捏造だといって無視されてきた古文献も、改めて再検討する価値が、確実に再生してきたのである。
なぜならインドの人たちも、殷の人たちも、同族であるだけでなく、貝貨幣に始まって、銅の矛や剣や鏡などが、大量に通商されていた事実が、動かぬ物証として残っているのに、その記録はまるで見つかっていないからである。
過去の『文献』のみによる歴史学の手法は確実に欠落した部分をもっている。
それは時代遅れの欠陥学術だったことが明白になった。
これから本当の私たちの先祖の歴史が、続々と生命を蘇らせはじめる。
それは全て言語復原史学会の講座で永年ご研鑽になった先生方の世界の誰も持たない知識による、ご指導によるものなのである。
出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録32
:32頁
「ムー大陸実在! その実体は日本列島」
我が国と中国は、少なくとも三千数千年前には同じウバイド人が住み、その伝統の女性主導「大母=大婆(ウバイ)王」国の首都をなしていた。
この母の一音「モ(一例=母里(モリ)」は、沖縄語では「ムー」に成る。
ムー大陸があったという説を頭から嘘と決め手かかるのは間違いである。
それは位置、内容ともに、言語復原史学会で解明してきた真相と多くの一致点をもち、日本列島を巨大な陸地と感じて「大陸」と呼んだことも当然のことである。
言語復原史学会の研究はこれからますます面白くなる予感がする。
これまで検討してきた「ウバイド=ウワイト=倭人」の事実は、すでに疑う余地のない証拠群を積み上げたが、まだ大量にあって、それを全部言語復原史学会の講座で扱うのは場違いである。
これで充分ご納得がいったと思うので、ウバイドの発生と発展の背景である古代オリエント史を、見易く整理しておくことに使う。
在来のオリエント学説では、オリエントの最古の集落遺跡は、イランとイラクとトルコの周辺に散在する農排と牧畜による食料生産経済発生に伴う遺跡群で、紀元前7000年頃のものであろうとされていた。
続いていてメソポタミヤ北部で紀元前6000年頃の新石器を使う人々の村落跡が発見され、サマッラで最古の灌漑農耕施投が見つかっているが、ウバイドが属するメソポタミヤ南部にはせいぜい紀元前5300年頃の集落遺跡しかないとされていた。
出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録38
:29頁
「オリエントの遷都開始期」
1980年代にウバイド遺跡の洪積層の下に、さらに古代の遺跡が見つかり、発掘調査の結果、それが8000年前のものだと確認されたが、折悪しく発生した湾岸戦争で中断し、それ以上の進展は見られないから、考古学的な実態は今のところ不鮮明である。
私たち倭人(ウワイト)の子孫としては、ウバイドという祖国の発生年代は、是非知っておきたい大問題である。
調査の再開が待ち望まれる。
発生時期はマルドゥク信仰などでバベル族が分化した頃であるということになるが、
その決定方法などをお考えになってお教え頂きたい。
B.C.E.9000年 最古の農耕・牧畜集落遺跡群散在
B.C.E.8000年 前ウバイド期の集落遺跡
B.C.E.8000年 最古の灌漑農耕施設 サマッラ
B.C.E.8000年 新石器使用村落跡 メソポタミヤ北部
B.C.E.6500年
↓ ウバイド文化遺跡群
B.C.E.6000年 フジスタンにスサ誕生
↓ ウバイド文化の北部進出遺跡群
B.C.E.5500年
↓ ウルク期
B.C.E.5100年
↓ ジェムデト・ナスル期 都市化進展
B.C.E.5000年 スメル文明最盛期・都市国家群立
↓ 初期王朝時代
B.C.E.1792年
↓ バビロン第一王朝
B.C.E.1750年
出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録38
:30頁
『語句説明』
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与那国島海底地形
『マルドゥク』
『スーサ』
『ウルク (メソポタミア)』
『北メソポタミア山麓地帯』
『ウバイド文明』
『オリエント』
『メソポタミア』
『ムー大陸』
『古史古伝』
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『参考』
歴史徒然
ネット歴史塾
ウワイト(倭人)ウバイド
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
歴史学講座『創世』うらわ塾
翻訳と辞書
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
メソポタミア世界
シュメル-人類最古の文明
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